湯村温泉は弘法大師の伝説があるように、古くから「湯の湧くところ」だったのです。
だからそこに人が集まり、いつしか「温泉旅館」がうまれ、この百余年の間に人々の込めた思いと、私共の心が重なって花開き「いい温泉旅館」が出来ました。
甲府盆地の小さなコップの底のようなところに富士の大噴火があり、日本武尊の神話があり、戦国の武田信玄があり、甲府勤番があり、四十九聯隊があったように、小さな柳屋も、これからお客様とご一緒に「いい温泉旅館」の歴史を作り重ねてゆきたいと思います。
重ねてどうぞよろしくお願い申し上げます。
柳屋は永い間「岩風呂の柳屋」を看板に商売をしておりました。広い庭の大きな池の回りに木造の建物が何棟も散在していて、出来たての頃は離れ風の部屋は冷暖房もいらない程でしたから大いに賑わいました。
近年、消防の規制で木造では商売しにくくなり、バストイレ付きには改造しましたが離れ作りと木造では冷暖房の効果が悪くて大変でした。いくら良い材木を使用しても木造二階建てでは冷暖房は効きません。
そこで、全館建て替えを計画したのは昭和60年頃です。プロの計画は全て高層ビルの大型旅館でしたが、柳屋は「温泉旅館」として生まれたので、「ビルディングのリゾートホテルはないだろう」、「温泉旅館でいこう」と決め、平成になった時、今の構想をスタートさせました。
安全で(客室は全て鉄筋コンクリート)・便利で(二階建て、庭を囲って廊下がぐるりと一周している)・「和風の温泉旅館らしく」と平成15年に全館完成致しました。
折柄のニーズに合わせて、貸切露天風呂・部屋付き露天風呂などができましたが、よろしくお願い申し上げます。
開放感のあるロビーは日本庭園に面しております。
フロントの奥にはお土産コーナーもあります。地元の特産や、甲州ワインもありますので、是非お立ち寄りください。
日本庭園に面した客室で四季を感じながら、露天風呂に浸かりゆったりのんびり…
もちろん温泉です。
掘りごたつのある部屋と、踏込のある部屋をご用意しております。どの部屋も日本庭園に面しております。
大小8つの宴会場が柳屋にはあります。
法事や忘・新年会等の利用も多くあります。
また、朝食と夕食も宴会場でのご提供になります。
柳屋の大浴場は「石の湯」と「花の湯」の2つあります。どちらも露天風呂付き。
ごゆっくり、温泉をお楽しみください。
柳屋の大小4つの露天風呂や、お部屋の露天風呂は、信玄隠し湯のひとつといわれる湯量豊富な天然温泉。
弘法大師が塩澤寺を開山したおり、村人に杖をついて温泉のありかを教えたという、1200年の歴史をもつ由緒のある名湯です。
泉質 | 低張性弱アルカリ性泉、食塩泉、ナトリウム・カルシウム塩化物泉 |
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泉温 | 47~51℃ |
効能 | 疲労回復、関節症、肩こり、腰痛、神経痛、筋肉痛、胃腸病、創傷によく効きます。 |
信玄公が上田原の戦いで負った傷を癒したともいわれています。
柳屋は「岩風呂の柳屋」を看板に商売を始めていきました。この石の湯の岩風呂がそれです。柳屋の原点の温泉なのです。
※2022年6月現在、檜風呂が使えなくなっております。
ご不便をおかけいたしますが、ご了承ください。
標高446mの湯村山を借景とした開放感あふれる露天風呂です。石の湯・花の湯共に蔵造りのサウナも完備しております。
当館人気の開放感のある貸切露天風呂です。予約制ですので、ご宿泊者様ご利用の際はお早目のご予約をお願い致します。
車椅子が入れる貸切風呂、春の湯。足を下せる掘りごたつの小部屋に身障者用トイレも完備しております。
障がい者の方や、ご高齢の家族様が宿をご利用の際に使用しております。
代々受け継がれてきた郷土料理や地元の食材。
料理長こだわりの旬の食材を使用した季節会席は、来るたびに違った食の楽しみを教えてくれます。
是非、山梨・柳屋の味をお愉しみください。
山梨産を盛り込んだ旬の会席膳。
月替わりの会席膳となります。その時期の旬の味をお楽しみください。
当館では大小7つの宴会場がございます。
大広間「さくら」は100名の大人数まで対応しております。
また、イス・テーブル式ですと70名までの御宴会が可能でございます。
大切な人との語らいと美味しいお料理で、楽しいひとときをお過ごしくださいませ。
「ご法要に」「同窓会に」「歓送迎会に」「忘新年会に」「記念日祝いに」
当館は、ご法要・同窓会・歓送迎会・忘新年会など様々な宴会に対応しております。
どうぞお気軽にお問合せくださいませ。
50名までご利用のできる宴会場になります。
忘新年会やセミナー等、様々なご希望にお応えしております。
カラオケも完備しておりますので、宴の席でご利用くださいませ。
20人までご利用のできる宴会場になります。
堀込式のテーブルを使用しておりますのでご高齢の方の小さな宴会などにお使いいただけます。
また、カラオケも完備しております。
8名程度までご利用いただける宴会場になります。
個室ですので、ご家族や親しいご友人とのゆっくりとした集いに最適です。
当館料理長が、季節ごとの会席を心を込めてお作りいたします。
山梨の旬の食材を食べ、移ろう季節をお楽しみくださいませ。
甲府湯村温泉郷は、山梨を代表する由緒ある温泉郷です。
808(大同3)年に弘法大師が杖で大石を寄せたところから温泉が湧いた「杖の湯」伝承や、鷲が傷を癒すために舞い下りた「鷲の湯」伝説が今に伝わり、武田信玄公のかくし湯としても知られています。
また、葛飾北斎の「勝景奇覧 甲州湯村」に描かれました。
御岳昇仙峡は甲府市の北部に位置する渓谷です。国の特別名勝にも指定されており、「日本一の渓谷美」といわれています。長い歳月をかけて削り取られた花崗岩の断崖や奇岩・奇石と清澄で豊富な水の流れをみることができ、渓谷沿いに整備された遊歩道では、四季折々で変化に富んだ渓谷美を間近で楽しめます。
湯村温泉郷には数々の伝説と史跡・名所が良質の温泉とともに受け継がれています。
二体のご本尊(秘仏808年建立・開扉仏1050年建立)のうち、国の重要文化財に指定されている地蔵堂に安置されている石造地蔵菩薩座像(県指定文化財)が耳を開き、善男善女の願いを聞きいれ、厄難を逃れることができると言われることから、大祭当日は、多数の参詣者で賑わいます。
福田山塩澤寺は、(大同3年)808年弘法大師(空海)が開山し、(天暦9年)955年空也上人によって開かれ、後に大覚禅師(蘭渓道隆1250年頃)により再興されたと伝えられています。
山門の脇には、「舞鶴の松」と呼ばれる県指定天然記念物のクロマツがあり、高さはありませんが、横に枝が伸び、30mにも及びます。
地蔵堂の裏手には、岩盤が50cmほどくりぬかれており、「首浮き地蔵」がまつられています。首と体が離れていて、願いごとがかなうときは、首が軽く浮き上がるといわれています。地元の信仰をあつめています。
塩澤寺のとなりに、ホテル弘法湯があります。その裏手には、杖の湯跡があります。
大同3年(808年)弘法大師が東北巡行の帰りに、信州から甲州に入り、近くの厄除地蔵に泊りました。
道路の真ん中に大石があり、旅人が通行に困難な状況でした。大師は呪文を唱えながら杖にて寄せたところ、温泉が湧き出しといわれています。
「杖の湯」「弘法杖」といわれ、いまにその名残があります。旅館街が出来る以前は、この杖の湯・鷲の湯・谷の湯・産甫ノ湯が銭湯という形で庶民に愛されていました。この3軒の内の何れかが葛飾北斎によって描かれています。
八の宮跡は悲劇の子良純親王住居跡松元寺を出て、左折すると、旅館明治があります。
この場所は、江戸時代、徳川家光の治世1643年に、良純親王が流され、住居があった場所です。
良純親王(八の宮)は、御陽成(ごようせい)天皇の第8皇子です。天皇の怒りにふれて、都を追われて甲斐の国に流されました。一説には当時「湯島村」と呼ばれていた湯村は(湯ノ島とも湯志麻とも伝わっています)、「島」という字があると島流しのようであるから、この時良純親王を気遣って「島」をとって「湯村」に改名したとも言われています。この場所や興因寺(甲府市下積翠寺町)に住み、いくつかの詩歌を残したといわれています。
『鳴けばきく きけば都の 恋しさに この里過ぎよ 山ほととぎす』
旅館明治の南となりに、共同浴場「鷲(わし)の湯」があります。この名称は湯村温泉郷の次のような伝説からとったものです。町民に親しまれる公衆浴場として開放されていました。(現在は営業しておりません)
鷲の湯伝説と鬼の湯伝説。昔この辺りは、起伏した丘や沼地で、一面に萱草の生い茂った荒野でした。
あるとき一羽の鷲がどこからともなく飛んできて、日に二、三度萱草の中に姿を隠し、やがてどこかへ飛び去りました。
こんなことが七日ばかりも続いて、それからのちは、鷲はさっぱり姿を見せなくなりました。人々は不思議に思って、萱草の辺りを探して見ますと、かすかに白い湯気が立ち上るところがあったので、そこを掘り返すと、熱い湯がほとばしって湧き出しました。
人々は喜んで湯小屋を建てて入浴してみますと、湯の温度もちょうどよい湯加減で、諸病に効くことがわかりました。
病気の鷲が湯気につかり、全快して来なくなったことから、人たちはそこに温泉が湧くことを教えて貰ったわけで、この鷲は山の神様の現れであろうと、一社を建てて湯権現に祀り、その山を湯村山と名付けました。湯村には今でも「鷲の湯」という名前の古いお湯があります。
共同浴場「鷲の湯」の南の山すそに、湯谷神社(ゆやじんじゃ)があります。
境内には、石鳥居、石の階段、庚申塔、石祠、大木などが、たくさん残っています。
次のような湯権現の伝説が残っています。
「むかし、鳥居の手前、鷲の湯の南に杉の大木がありました。毎年、大晦日の夜12時から元旦の朝6時までは、湯の神様が入浴するので、人は湯に入ってはいけないきまりでした。ところがある時、そんなばかな話はあるか、といって湯に入った男がいて、翌朝大杉にはりつけになって死んでいました。そののちは、さらに厳重にこのきまりが守られたようです。
水道みちを北西に向かっていくと、道沿いに家が建ち並ぶなか、こんもりとした加牟那塚古墳があります。
金塚、あるいは釜塚ともいわれ、高さ7mあまり、直径40mの大きさは、6世紀後半の東日本で規模の大きなものであり、県文化財に指定されています。
塩澤寺の地蔵堂の前から、南アルプスを望むとこの加牟那塚古墳が住宅地のなかから、頭を出している姿が見えます。石室は、横穴式石室で人間が歩ける大きさがあり、入口から中を見る事ができます。
天井となっている数個の大きさの石には驚かされます。
加牟那はカムナと読みます。元々は高句麗(現在の朝鮮)の渡来人の書くカタカムナ(現在のカタカナ)が語源とか、また、カムナとはやはり高句麗の神の名であると聞いています。
湯村山の西の遊歩道沿いにある2つの古墳は、それぞれ地蔵古墳、こうもり塚と呼ばれています。
湯村、羽黒、山宮、千塚地区には、たくさんの古墳があります。千塚はたくさんの古墳を意味する地名です。旧敷島町の東部から千塚、湯村を通って石和温泉の手前横根までの北部山岳地帯は日本で2番目に積み石塚古墳が多い場所です。
ここ湯村山の西側にある古墳は、6世紀頃の形態で、ぽっかり開いた入口が石室で、この奥に死者を埋葬しました。今では桜が植樹され3月下旬から4月初旬に満開の桜の花が楽しめます。
湯村温泉郷の旅館から、4車線の北バイパス沿いにある甲府信用金庫湯村支店の角を湯村山方面へ北に入ります。湯川を渡り、湯村山に登る手前を右折すると、駐車場の真ん中にこんもりとした、万寿森古墳があります。
6世紀前半、甲斐国最大の古墳といわれています。遠くから見ると、まんじゅうのような形をしており、その名が付いたともいわれています。古墳時代後期の横穴式石室を持つ、円墳です。
江戸時代には、火薬庫として使われており、煙硝蔵(えんしょうぐら)ともいわれていました。墳丘は、現在松林となっています。
甲州湯村温泉